大徳寺塔頭徳禅寺 如意庵 立花大亀 一行幅「青松多寿色」 tachibana, daiki "seisho jushoku ooshi"

立花大亀 1899(明治32) - 2005(平成17)

明治32年12月22日生まれ。臨済(りんざい)宗。大正10年出家。京都大徳寺塔頭(たっちゅう)の徳禅寺住職となる。大徳寺派宗務総長を2期つとめ、昭和38年最高顧問、48年大徳寺内に如意庵を復興して庵主となる。57-61年花園大学長。平成17年8月25日死去。105歳。大阪出身。堺市実業補習学校卒。

茶道に精通し、茶人や書家としても知られている。また、茶の湯や50年代に携わった経済誌の企画を通じ、池田勇人元首相をはじめ、福田赳夫元首相、松下幸之助ら多くの政財界人と交流。禅の教えを元にアドバイスし、「政界の指南役」と言われる。著書に「利休に帰れ」「死ぬるも生れるも同じじゃ」など多数。

 

青松多寿色

唐の詩人・孟郊の詩、『西上經靈寶觀(觀即尹真人舊宅)』の「道士無白髮、語音靈泉清。青松多壽色、白石恒夜明。放歩霽霞起、振衣華風生。真文秘中頂、寶氣浮四楹。一片古關路、萬里今人行。上仙不可見、驅策徒西征。」

青々とした松はそのままでめでたい色をしているという意味。松は季節を通しても、また年月を重ねても青々と鮮やかで、色あせることのないその姿は不変で永遠の心を象徴している。