宙宝宗宇(松月) 瀑布画賛幅 chuho, sou "waterfall"

宙宝宗宇  ? - 1838(天保9)

江戸後期の臨済宗の僧。大徳寺四百十八世。京都生。宙宝は道号、宗宇は諱、松月老人と号する。大徳寺四百六世則道宗軌に就いてその法を嗣ぐ。天保7年(1836)仁孝天皇より大光真照禅師の号を賜る。天保9年(1838)寂、79才。

 

望廬山瀑布<李白>

日照香爐生紫煙

遙看瀑布掛前川

飛流直下三千尺

疑是銀河落九天

 

廬山の瀑布を望む<李白>

陽は香爐を照らして紫煙を生ず
遙かに看る瀑布の前川に掛かるを
飛流直下三千尺
疑うらくは是銀河の九天を落つるかと

 

※箱書付
昭隠会聡(川島昭隠)1865(慶応元)- 1924(大正13)

岐阜県稲葉郡に生まれる。号を槐安軒。11歳のとき、岐阜の開善院(岐阜市寺町)、則門和尚の弟子となる。15歳で美濃加茂伊深の正眼寺に掛塔し、始めは泰龍に参じたが、やがてその法嗣大義祖勤に参じ、また禅外道倫にも参じた。1893(明治26)年、29歳のとき、清泰寺に住職する。その翌年大義は遷化する。1898(明治31)年、天龍寺の峨山に参じたが、1900(明治33)年、峨山の遷化に逢い、一旦清泰寺に帰るが翌年、南宗寺の蜻州守拙に参じ、遂にその印可を得た。しかし法は大義を嗣いでいる。明治40年(1907)、大徳寺僧堂家となり、1919(大正8)年、正眼寺僧堂に移った。そのとき、雲衲五十余人が師に従ったという。