13.8㎝径×8.5㎝高
【売却済】二代 長岡空斎(楽山焼六代) 出雲刷毛目茶碗「無礙」而妙斎御書付 the 2nd nagaoka, kusai rakuzan izumo brush mark bowl


二代 長岡空斎(楽山焼六代) 生年不詳 - 1859(安政6)
楽山焼六代長岡空斎、名は貞正。
藩命で布志名焼の土屋家から長岡家の養子となり、楽山焼六代を継承して「空斎」と号する。
1807(文化4)年、京都(一説には九州)において色絵の陶技を伝習したとされる。こうして楽山焼の色絵は精巧となり、高麗茶碗や仁清写に名作が遺される事となった。
出雲焼 楽山窯の歴史
楽山窯は、初代倉崎権兵衛が1677年に長州から松江に入国をして以来今年でおよそ330年。当代は空郷は十二代となる。
初代の倉崎権兵衛、二代から四代にわたる加田半六、その後の40年以上にわたる中断を経て、楽山窯五代として不昧公より命を受けた長岡住右衛門貞政に移る。この五代より現在の松江市西川津町楽山の地に窯を開くこととなる。四代までの窯の場所と五代以後の窯の場所は異なることとなるが、四代までの窯の場所がいずれであったかについては未だに確証はない。その後六代空斎、七代空入、九代空味、十代空処、十一代空権につながり現代にいたる。