十一代 坂高麗左衛門(韓峰)萩焼茶碗 the 11th saka, koraizaemon hagi-yaki bowl

十一代 坂高麗左衛門 1912(大正元)- 1981(昭和56)

萩焼の陶芸家坂高麗左衛門は1981年1月13日、山口県萩市で死去。享年68。1912(大正元)年4月26日下関市に生まれ、本名は信夫。帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)を卒業したのち、48(昭和23)年に旧萩藩御用窯の宗家坂高麗左衛門家の婿養子となる。萩焼は17世紀初頭に朝鮮の陶工李勺光・李敬兄弟によって創始されたもので、茶の湯では「一楽、二萩、三唐津」として代表的な和物茶碗のひとつに数えられる。李兄弟は松本中之倉に松本窯を開窯し、その後弟李敬が寛永2(1625)年坂高麗左衛門の和名を藩主から受けて坂家の初代高麗左衛門となったが、兄李勺光の一族が後に深川三之瀬に移り深川窯を開いたため、以後、坂家が松本窯の総都合役を踏襲するようになる。その坂家の十一代高麗左衛門を58年に襲名し、また66年の第13回日本伝統工芸展に「萩焼茶碗」が初入選、その後入選を重ね71年に日本工芸会正会員となった。朝鮮の井戸茶碗ふうのものや、胎土に荒砂や礫を混入した鬼萩手など豪快でたくましい作風を得意とし、73年山口県芸術文化振興奨励賞を受賞、75年に山口県無形文化財の指定を受けた。80年には日本工芸会の理事となり、山口県支部の幹事長なども務めた。この間、78年には、他の萩焼作家とともに中国を旅行している。主な作品は、「井戸茶碗」(75年)「魚紋花瓶」(77年)他がある。