砂御本茶碗 「秋世」 sand gohon (fired at the Japanese consular office in Busan in the early part of the Edo period (1603-1868) and made to order based on a model) bowl

砂御本茶碗

御本茶碗:江戸前期に釜山の倭館で焼かれたもので切型(お手本)によって注文制作されたもの。
御本とは、御手本の意。

寛永16年(1639)の大福茶に細川三斎の喜寿祝いのため、小堀遠州が茶碗の形をデザインし、三代将軍家光が下絵を描いた立鶴を型にして茶碗の前後に押し、白と黒の象嵌を施した茶碗を対馬藩宗家を取りつぎに、釜山窯で茶碗を焼かせた。これを「御本立鶴茶碗」といい、御手本から始まったことから御本とよばれた。釜山窯は寛永16年(1639)、朝鮮釜山の和館内に築かれた対馬藩宗家の御用窯で、本来の名称は「和館茶碗窯」、大浦林斎、中山意三、船橋玄悦、中庭茂三、波多野重右衛門、宮川道二、松村弥平太、平山意春らが燔師(はんし)として赴き、朝鮮の陶工を指導して注文品を焼かせた。古い高麗茶碗を基として、御本立鶴(たちづる)、御本雲鶴、御本三島、御本堅手、絵御本、御本半使、御本御所丸、御本金海、御本呉器、砂御本など非常に多様なものが焼造され、対馬宗家を通じて徳川家ほかの大名に送られた。
しかし元禄をすぎると、しだいに陶土の集荷が困難になり、享保3年(1718)に閉窯された。