【売却済】三橋了和 鎌倉彫松竹梅丸菓子盆 即中斎御書付 mihashi, ryowa kamakura-bori pine, bamboo and plum round tray

三橋了和 

三橋家は仏師の流れを汲む家系。仏師は明治維新後の神仏分離令によって大きな打撃を受け、その多くは廃業を余儀なくされた。しかし一部の仏師はその技術を仏像製作や修繕から仏具や器の製作に転じ、茶道具や日常品へと広め現在に至る。三橋26世鎌山は上記転換期において、その作品を、関東においては有栖川宮家や鎌倉に別荘を持つ前田家、関西においては大徳寺、表千家、玉林院や豪商山口家に重用され、多くの愛好家の後援のもと、所謂「一点もの」の製作を続け、生涯の間に膨大な作品を遺すことができた。鎌山が「鎌倉中興の祖」と呼ばれる所以である。

鎌山の長男三橋27世鎌岳(了和)は、鎌山の二男が出家して使えていた玉林院の住職の影響で茶道具を製作するようになる。大正12年の関東大震災の難を逃れ一家で京都に身を寄せてからのことである。京都で過ごした10年間を茶道具製作に打ち込み、その間に生み出した作品は100種類以上におよぶと言われている。その時代の作風は、鎌倉で製作していた頃とは大きく異なっており、了和の京都における研鑽の程が偲ばれる。表千家・惺斎の時代に活躍した。