【販売済】表千家 久田家十二代 尋牛斎 自筆懐紙「楓林紅色寒」 omotesenke the 12th hisada, souya jingyusai "furin"

表千家 久田家十二代 千宗也 尋牛斎 1925(大正14)- 2010(平成22)

京都市生まれ。本名は和彦、号は半床庵・尋牛斎。十一世無適斎宗也の長男。京都大学文学部史学科史学科卒。十三世即中斎千宗左に師事。

久田家の歴史
久田家は表千家の茶家。
邸内の茶席、「半床庵」の名で呼ばれる。
千利休の時代に活躍した久田宗栄(1557-1624)を初代とし、現在十三代続く茶家である。

初代 宗栄
千利休の時代に活躍した。天正15年(1587)の北野大茶湯において茶席を持ったと伝えられる。公家や大名とも茶の湯の交わりを持ち、茶人としての名声を得た。

二代 宗利
受得斎(じゅとくさい)。宗栄の子。利休の孫である元伯宗旦の娘くれを妻とし、元伯宗旦より茶を学んだ。
次男は表千家五代を継いだ随流斎。

三代 宗全
徳誉斎(とくよさい)。二代宗利の長子で、久田家中興の祖と言われる。表千家不審菴を基とし、四畳中板の小間「半床庵」を考案する。また多くの好み道具を残し、今に伝来している。
長子の勘太郎は表千家六代の覚々斎。

四代 宗也
不及斎(ふきゅうさい)。宗全の甥。近衞予樂院家煕(いえひろ)をはじめ、公家と広く茶の湯の交わりを持ったことでも知られる。

五代 宗悦
凉滴斎(りょうてきさい)。不及斎の次男。兄の宗玄は両替町久田家として立ち、宗悦は高倉久田家をたて五代となる。

六代 宗渓
挹泉斎(ゆうせんさい)。凉滴斎の長子。挹泉斎の長子、貞蔵は表千家九代の了々斎。

七代 宗也
皓々斎(こうこうさい)。挹泉斎の次男で、了々斎の実弟。皓々斎の次男、達蔵は表千家の十代吸江斎。

八代 宗利
九代 宗与
温厚斎。吸江斎の後見をつとめた住山揚甫(ようほ)の孫。

十代 宗悦
玄乗斎(げんじょうさい)。表千家十代吸江斎の三男で皓々斎の孫。蛤御門の変で焼失した「半床庵」を復興した。
次男は武者小路千家九代の聴松宗守(愈好斎)。

十一代 宗也
無適斎(むてきさい)。宗悦の長子。『無適斎日記』を残す。

十二代 宗也
尋牛斎(じんぎゅうさい)。無適斎の長子。久田家および表千家の継承と発展に力を尽くす。

十三代 宗也
得流斎(とくりゅうさい)。尋牛斎の長子。遺志により半床庵文化財団が設立される。