【売却済】十代 楽旦入 象太郎写茶碗 吸江斎御書付 十五代 直入極 而妙斎箱 the 10th raku, tannyu zotaro-style bowl

十代 楽旦入 1795(寛政7)- 1854(嘉永7・安政元)

楽了入の次男。京都の楽家十代。紀伊和歌山藩で御庭焼を行う。藩主・徳川治宝(はるとみ)から「楽」の印判をあたえられた。「聚楽焼由緒歴代書」を作成し、楽家の系譜を整理した。本姓は田中。名は喜愷(よしすえ)。通称は吉左衛門。

 

吸江斎(きゅうこうさい) 1818(文政元)- 1860(万延元)

表千家十代。久田家より養子に入り、幼くして家元を継いだ。茶堂として仕えた紀州徳川家十代の治宝(はるとみ)は茶の湯に熱心で、了々斎から一時預けられていた皆伝を吸江斎に授けている。1839(天保10)年には、利休の250年忌を迎え、祖堂(利休堂)の改築なども行った。

 

表千家の覚々斎の100回忌の際に、覚々斎手作りの象太郎と名付けられた茶碗を写したもののひとつ。本歌は、覚々斎手造 赤茶碗、銘・象太郎(徳川家重より如心斎拝領)。


象太郎とは…

将軍吉宗の時代にタイから幕府に象が贈られ、長崎から江戸まで歩いての道のり、沿道の人々が初めて見る象に驚き、大評判になったという。その象の足をイメージした筒茶碗の写し。