【売却済】十一代 長岡空権 楽山焼茶碗 鵬雲斎御書付 the 11th nagaoka, kugon rakuzan-yaki bowl

十一代 長岡空権 1929(昭和4)-

1929(昭和4) 十代長岡空処の長男として島根県松江市生
1960(昭和35) 十一代坂高麗左衛門に師事
1965(昭和40) 十一代長岡住右衛門を襲名
1987(昭和62) 日本工芸会正会員
2000(平成12) 島根県指定無形文化財に認定
伝統的技術を墨守して伊羅保茶碗を中心に作陶を展開
祖父・九代空味、父・十代空處から薫陶を受け、楽山焼の技法を修得
1960年に祖父・空味、また翌年父・空處が相次いで死去したために同年より七代住右衛門及び楽山焼十一代目を継承し、現在に至る
作品は象嵌手の三島写、伊羅保写などを最も得意として茶陶を展開、特に茶碗、水指、茶入に秀作を残している

 

出雲焼 楽山窯の歴史

楽山窯は、初代倉崎権兵衛が1677年に長州から松江に入国をして以来今年でおよそ330年。当代は空郷は十二代となる。​初代の倉崎権兵衛、二代から四代にわたる加田半六、その後の40年以上にわたる中断を経て、楽山窯五代として不昧公より命を受けた長岡住右衛門貞政に移る。この五代より現在の松江市西川津町楽山の地に窯を開くこととなる。四代までの窯の場所と五代以後の窯の場所は異なることとなるが、四代までの窯の場所がいずれであったかについては未だに確証はない。その後六代空斎、七代空入、九代空味、十代空処、十一代空権につながり現代にいたる。